fc2ブログ





彼は年中洟をかんでゐる。
彼は鼻が悪いからだ。
彼は年柄年中何か書いてゐる。
彼は心が病気だからだ。

病気だから彼は大きな声で怒鳴らない。
人の邪魔はしない、
人の生活に文句はつけない、
自分が苦しんでゐるから人を苦しめない。

彼は鼻が悪いから、
下らないことを嗅ぎ出したりはしない。

彼は年中洟をかみながら、
何かしらコツコツと書いてゐる。

(十一月八日及び九日)



高見順 初期詩篇から

スポンサーサイト



積木

積木



困るといふことは面白い
僕はひとりで困つてひとりで遊ぶ
ひとりで積木遊びをする子供のやうに

もうひとつ重ねると
折角高くなつた積木が
崩れさうで困る

悲しみを上手に積み上げて
僕は遊び 僕は困る
悲しみの一片をさらに積み重ねたものかどうか




高見順 詩集/重量喪失

黒板

黒板



病室の窓の
白いカーテンに
午後の陽がさして
教室のようだ
中学生の時分
私の好きだった若い英語教師が
黒板消しでチョークの字を
きれいに消して
リーダーを小脇に
午後の陽を肩さきに受けて
じゃ諸君と出て行った
ちょうどあのように
私も人生を去りたい
すべてをさっと消して
じゃ諸君と言って




高見順 詩集/死の淵より

光(五)

光(五)



海のかなたの遠くにゐるキリコ氏
あなたの絵にわたしは向つてゐる
あなたをわたしは想ふ

あなたは暗い部屋で呟く
芸術家の光は窓からでなく心からくるものだと
遠い呟きがわたしに聞える
暗い部屋であなたの呟きを聞く

狂つたと噂される懐かしいキリコ氏
あなたの絵をわたしはわたしの暗い部屋でみつめてゐる




高見順 詩集/樹木派

苦しみ

苦しみ



犬が吠えてゐる
なんといふ力のこもつた声だらう
排他心とはなんといふ力強いものだらう

ここでは
苦しみが病んでゐる
黙つて吠えないで病んでゐる




高見順 詩集/樹木派

忍耐

忍耐



君に
僕の忍耐をあげよう
崖の樹木よ
忍耐でない忍耐の
その君の忍耐が
僕は欲しい




高見順 詩集/樹木派

葉脈

葉脈



僕は木の葉を写生してゐた
僕は葉脈の美しさに感歎した
僕はその美しさを描きたかつた

苦心の作品は しかし
その葉脈を末の末までこまかく描いた
醜悪で不気味な葉であつた

それはたしか十歳位の頃だつた
それはついこの間のやうで
あゝ その日から三十何年経つてゐる

三十何年振りに僕は
葉脈の美しさに感歎してゐる
三十何年の早さ短かさに感歎してゐる

感歎しつゝこまかい葉脈を見てゐると
嘗つてのこまかい写生の醜さのやうに
自分の三十何年のこまかい醜さがありありと思ひ出される




高見順 詩集/樹木派