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にょうぼうが いった

にょうぼうが いった



あさ
にょうぼうが ねどこで
うわごとにしては はっきり
きちがい
といった
それだけ
ひとこと


めざめる すんぜん


だから こそ
まっすぐ
あ おれのことだ
とわかった


にょうぼうは
きがふれては いない


すまぬ




川崎洋 詩集/「目覚める寸前」

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四つ葉のクローバー

四つ葉のクローバー



クローバーの野に坐ると
幸福のシンボルと呼ばれているものを私も探しにかかる
座興以上ではないにしても
目にとまれば、好ましいシンボルを見捨てることはない

四つ葉は奇形と知ってはいても
ありふれて手に入りやすいものより
多くの人にゆきわたらぬ稀なものを幸福に見立てる
その比喩を、誰も嗤うことはできない

若い頃、心に刻んだ三木清の言葉
<幸福の要求ほど良心的なものがあるであろうか>
を私はなつかしく思い出す

なつかしく思い出す一方で
ありふれた三つ葉であることに耐え切れぬ我々自身が
何程か奇形ではあるまいかとひそかに思うのは何故か




吉野弘 詩集/「陽を浴びて」


白い駅で

白い駅で



白い
清潔な駅におり立つと
生涯は そこで
終っているようだ
そこからあるき出す
一服の煙草と
よく透る挨拶と――
めくるめく記憶は
不意にとおいにせよ
そこで終るのが
おれであって
いいはずがない
風があると
君はいったな
おれが ある
さようならといわずに
ひとつの領域をこえる
まぶしい背なかだけの
おれだ




石原吉郎 詩集/「いちまいの上衣のうた」

霧の中の犬

霧の中の犬



霧の中の犬をおれは打った
霧のなかへ犬が追いつめた
犬の生涯のようなものを
おれは打った
息にまみれて
打つに耐えぬもの
逃亡と追跡の
間のようなもの
祈るばかりに小さなものを
ながい弁明のように
おれは打った
霧と名づけた
霧のようなもの
犬と名づけた
犬のようなものを
ただひとり 孤独な
罪と罰のように
おれは打ちつづけた




石原吉郎 詩集/「いちまいの上衣のうた」

花であること

花であること



花であることでしか
拮抗できない外部というものが
なければならぬ
花へおしかぶさる重みを
花のかたちのまま
おしかえす
そのとき花であることは
もはや ひとつの宣言である
ひとつの花でしか
ありえぬ日々をこえて
花でしかついにありえぬために
花の周辺は的確にめざめ
花の輪廓は
鋼鉄のようでなければならぬ




石原吉郎 詩集/「いちまいの上衣のうた」

唱歌

唱歌



みえない、朝と夜がこんなに早く入れ替わるのに。
みえない、父と母が死んでみせてくれたのに。

みえない、
私にはそこの所がみえない。
                  (くりかえし)




石垣りん 詩集/「表札など」

魂病み

魂病み



すぐに
治りますよ
お医者さんの真似で
書斎のわたしの椅子に
ちょこんと座った繁樹が
開口一番こう言った
弟の直樹はその前で
神妙にしている
わたしは
二人の孫のかたわらで
まごまごしている
すぐには
治らなかったな
中学生のころ病んでいたわたしの魂は
それに
病んでいたことに気がついたのは
相当あとになってからだった
この間から
昭和二〇年の日記にこだわって
いまも読み返していたところ
おじさんはね
軍国少年だったのだよ
ばりばりの




川崎洋 詩集/「魂病み」

愚かしき月日

愚かしき月日



夕方になつてみても
自分は一度飯に立つたきりでそのまゝ机によりかゝつて
 煙草をのんでゐたのだ。

そして 今
机の下の蚊やりにうつかり足を触れて
しんから腹を立てて夜飯を食べずに寝床に入つてしまつた

何もそんなに腹を立てるわけもないのに
こらえられない腹立たしさはどうだ
まだ暮れきらない外のうす明りを睨んで
ごはんです――と妻がよぶのにも返事をしないでむつとして
 自分を投げ出してゐる態は・・・・・・
俺は
「この男がいやになつた」と云つて自分から離れてしまいたい




尾形亀之助 未刊詩篇



三十の抄

三十の抄



牛蒡はサクサクと身をそぎ
水にひたってあくを落す

ほうれん草は茹でこぼされ
あさりは刃物にふれて砂を吐く

私はどうすれば良い
ひたひたと涙にぬらし
笑いにふきこぼし
戦火をくぐらせ
人の真情に培って三十年

万人美しく、素直に生きるを
このアクの強さ
己がみにくさを抜くすべを知らず
三十年

俗に「食えぬ」という
まことに食えぬ人間
この不味きいのちひとつ
ひとにすすむべくもなき
いのちひとつ

齢三十とあれば
くるしみも三十
悲しみも三十

しかもなおその甲斐なく
世に愚かなれば
心まずしければ
魂は身を焦がして
滅ぼさんばかりの三十。




石垣りん 詩集/「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」

現実には詩があるばかりだ。

はっきり言うと、僕は詩人という特別な人間の存在をあまり信じて
いないのかも知れない。現実には詩があるばかりだ。すぐれた詩が
あってはじめて、そのつくり手である人間に詩人の名前を冠する
ことができる。詩人と呼ばれる特別な人間が先にいて、彼のつくる
ものが詩なのではない。一生だれにも詩人と呼ばれなくても、一篇の
すぐれた私詩をかいたひとがおれば、そのひとは詩人なのだ。

黒田三郎/詩人とことば

夕方かけて

夕方かけて



「定期持ってると、お金はらわなくてもいいの?」
ある日の夕方
TBSラジオの『全国こども電話相談室』に
小学一年生の男の子が質問している

回答者の一人が定期券の仕組みを丁寧に説明し
子供にたずねた
「定期って、タダで乗れる券だと思ってた?」
「うん」と子供
「やっぱりそうか、でも、今度はわかったね」
「わかった、アリガトゴザイマシタッ」

聞いていて、私は笑い、少し涙が出る
なんでも質問し、なんでも答えてもらった幼年時の
明るい日々が、今は遥かに私から遠い

誰にも質問しない多くのことが、私にはあり
どうにもなることではないから
鼻歌をうたいながら台所に行き
やおら、ビールの栓を抜く
夕方かけての習慣なので――




吉野弘 詩集/「陽を浴びて」

夕暮れ

夕暮れ



夕暮れの町で
僕は見る
自分の場所からはみ出してしまった
多くのひとびとを

夕暮れのビヤホールで
彼はひとり
一杯のジョッキをまえに
斜めに坐る

彼の目が
この世の誰とも交わらないところに
彼は自分の場所をえらぶ
そうやってたかだか三十分か一時間

夕暮れのパチンコ屋で
彼はひとり
流行歌と騒音のなかで
半身になって立つ

彼の目が
鉄のタマだけ見ておればよい
ひとつの場所を彼はえらぶ
そうやってたかだか三十分か一時間

人生の夕暮れが
その日の夕暮れと
かさなる
ほんのひととき

自分の場所からはみ出してしまった
ひとびとが
そこでようやく
彼の場所を見つけだす




黒田三郎 詩集/「ある日ある時」

最も鈍い者が

最も鈍い者が



言葉の息遣いに最も鈍い者が
詩歌の道を朗らかに怖さ知らずで歩んできた
と思う日

人を教える難しさに最も鈍い者が
人を教える情熱に取り憑かれるのではあるまいか

人の暗がりに最も鈍い者が
人を救いたいと切望するのではあるまいか

それぞれの分野の核心に最も鈍い者が
それぞれの分野で生涯を賭けるのではあるまいか

言葉の道に行き昏れた者が
己にかかわりのない人にまで
言いがかりをつける寒い日




吉野弘 詩集/「自然渋滞」





人を感動させるやうな作品を
忘れてもつくつてはならない。
それは芸術家のすることではない。
少なくとも、すぐれた芸術家の。

すぐれた芸術家は、誰からも
はなもひつかけられず、始めから
反古にひとしいものを書いて、
永恆に埋没されてゆく人である。

たつた一つ俺の感動するのは、
その人達である。いい作品は、
国や、世紀の文化と関係がない。
つくる人達だけのものなのだ。

他人のまねをしても、盗んでも、
下手でも、上手でもかまはないが、
死んだあとで掘出され騒がれる
恥だから、そんなヘマだけするな。
  中原中也とか、宮沢賢治とかいふ奴はかあいさうな奴の標
  本だ。それにくらべて福士幸次郎とか、佐藤惣之助とかは
  しやれた奴だつた。





金子光晴 詩集/「屁のやうな歌」

葬式列車

葬式列車



なんという駅を出発して来たのか
もう誰もおぼえていない
ただ いつも右側は真昼で
左側は真夜中のふしぎな国を
汽車ははしりつづけている
駅に着くごとに かならず
赤いランプが窓をのぞき
よごれた義足やぼろ靴といっしょに
まっ黒なかたまりが
投げこまれる
そいつはみんな生きており
汽車が走っているときでも
みんなずっと生きているのだが
それでいて汽車のなかは
どこでも屍臭がたちこめている
そこにはたしかに俺もいる
誰でも半分はもう亡霊になって
もたれあったり
からだをすりよせたりしながら
まだすこしずつは
飲んだり食ったりしているが
もう尻のあたりがすきとおって
消えかけている奴さえいる
ああそこにはたしかに俺もいる
うらめしげに窓によりかかりながら
ときどきどっちかが
くさった林檎をかじり出す
俺だの 俺の亡霊だの
俺たちはそうしてしょっちゅう
自分の亡霊とかさなりあったり
はなれたりしながら
やりきれない遠い未来に
汽車が着くのを待っている
誰が機関車にいるのだ
巨きな黒い鉄橋をわたるたびに
どろどろと橋桁が鳴り
たくさんの亡霊がひょっと
食う手をやすめる
思い出そうとしているのだ
なんという駅を出発して来たのかを




石原吉郎 詩集/「サンチョ・パンサの帰郷」

六体の石の御仏

六体の石の御仏



さる人の耐えがたき痛みを
一の石の仏 預かり給う。
一の仏の耐え給う痛みを
二の石の仏 預かり給う。
痛み 白き火の玉なして
二の仏より三の仏へ移り
六体の石の仏を転々と経めぐり
再び
一の仏より六の仏へと経めぐり
斯くて次第に衰えて消ゆ。
そのさま 異なり。
されど
仏に痛みを託して立ち去りし人
そのさまを知らず。




吉野弘 詩集/「感傷旅行」

伝道

伝道



若い娘が
わが家の鉄の扉を叩き
神についての福音の書を読めという

勇気をふるい、私は素っ気なく答える
買っても読まないでしょうし
折角ですが――

微笑んだ娘のまっすぐな眼差しに会って
私のほうが眼を伏せる
申訳ないが――そう言って私は扉を閉じる

神を、私も知らぬわけではない
神をなつかしんでいるのは
娘さん、君より私のほうだ

けれど、どうして君は
こんな汚濁の世で
美しすぎる神を人に引合せようというのだ

拒まれながら次々に戸を叩いてゆく
剛直な娘に
なぜか私は、腹立たしさを覚える

私なら
神を信じても
人に、神を信ぜよとは言わない

娘さん
どうして、君は、微笑んで
世の中を、人を、まっすぐ見つめるのだ

ここは重い鉄の扉ばかりの団地だ
君は、どの扉へも
神をしのびこませることができなかったろう

君は、眼の前で
次々に閉じられる重い鉄の扉を
黙って見ていなければならなかったろう

娘さん、私は神が必要なのに
私は言った
買っても読まないでしょうと




吉野弘 詩集/「感傷旅行」





花の名だけは知っていて
花そのものは知らない
そんな花があります

愛という字は
よく知っているのですが
そして
愛そのものも
知っているつもりだけど

降るような花の下を行くと
いったい
何を知っているのか
と 急に思います




川崎洋 詩集/「象」





鳥を歌おうとおもう
もっと素朴に
まず くちばし
つばさ
どうたい

しっぽ

それだけでいい
それだけで
鳥は飛べるのだから




川崎洋 詩集/「川崎洋詩集」


表札

表札



自分の住むところには
自分で表札を出すにかぎる。

自分の寝泊りする場所に
他人がかけてくれる表札は
いつもろくなことはない。

病院へ入院したら
病室の名札には石垣りん様と
様が付いた。

旅館に泊まっても
部屋の外に名前はないが
やがて焼場の鑵にはいると
とじた扉の上に
石垣りん殿と札が下がるだろう
そのとき私がこばめるか

様も
殿も
付いてはいけない、

自分の住む所には
自分の手で表札をかけるに限る。

精神の在り場所も
ハタから表札をかけられてはならない
石垣りん
それでよい。




石垣りん 詩集/「表札など」





日々を過ごす
日々を綾過つ
二つは
一つことか
生きることは
そのまま過ちであるかもしれない日々
「いかが、お過ごしですか」と
はがきの初めに書いて
落ちつかない気分になる
「あなたはどんな過ちをしていますか」と
問い合わせでもするようで――




吉野弘 詩集/北入曾

落花

落花



日曜日の朝の新聞からは
大売出しのチラシ広告が十枚ほども
落ちてくる。

デフレの枝から舞い降りる
この薄っぺらい花びら
鼻にあてると中小企業者の血の匂いがする。

さくら、さくら
散るのが美しいとほめ讃えた国に
おちるがいい
花びら

いのち
死の灰

しかし手には利益が残らなければならないのだ
それがこんにちの商売というものである。

福引券進呈!
十ヶ月月賦大奉仕!
感謝大売出し!

待った、
これが感謝か
追い詰められた人間のする
何というかけ引きいっぱいの感謝、
美しかった言葉の
おちぶれ果てた姿をとっくりと見よう。

それからチラシを裏返す
裏に下手な文句を書き
父母姉弟がひとつ家にかさなって
辞典のように重たくなった私の暮らしにさしはさみ
思い出のしおりにしようというものだ。




石垣りん 詩集/「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」

白 (仮題)

白(仮題)



あまり夜が更けると
私は電燈を消しそびれてしまふ
そして 机の上の水仙を見てゐることがある




尾形亀之助 詩集/「雨になる朝」

詩はただ

詩は神秘でも象徴でも鬼でもない。詩はただ、
病める魂の所有者と孤独者との寂しいなぐさめである。

萩原朔太郎

さびしいと いま

さびしいと いま



さびしいと いま
いったろう ひげだらけの
その土塀にぴったり
おしつけたその背の
その すぐうしろで
さびしいと いま
いったろう
そこだけが けものの
腹のようにあたたかく
手ばなしの影ばかりが
せつなくおりかさなって
いるあたりで
背なかあわせの 奇妙な
にくしみのあいだで
たしかに さびしいと
いったやつがいて
たしかに それを
聞いたやつがいるのだ
いった口と
聞いた耳とのあいだで
おもいもかけぬ
蓋がもちあがり
冗談のように あつい湯が
ふきこぼれる
あわててとびのくのは
土塀や おれの勝手だが
たしかに さびしいと
いったやつがいて
たしかに それを
聞いたやつがいる以上
あのしいの木も
とちの木も
日ぐれもみずうみも
そっくりおれのものだ




石原吉郎 詩集/「サンチョ・パンサの帰郷」

 

酒がのみたい夜

酒がのみたい夜



酒がのみたい夜は
酒だけではない
未来へも罪障へも
口をつけたいのだ

日のあけくれへ
うずくまる腰や
夕ぐれとともにしずむ肩
酒がのみたいやつを
しっかりと砲座に据え
行動をその片側へ
たきぎのように一挙に積みあげる
夜がこないと
いうことの意味だ
酒がのみたい夜はそれだけでも
時刻は巨きな
枡のようだ
血の出るほど打たれた頬が
そこでも ここでも
まだほてっているのに
林立するうなじばかりが
まっさおな夜明けを
まちのぞむのだ

酒がのみたい夜は
青銅の指がたまねぎを剥き
着物のように着る夜も
ぬぐ夜も
工兵のようにふしあわせに
真夜中の大地を掘りかえして
夜明けは だれの
ぶどうのひとふさだ




石原吉郎 詩集/「サンチョ・パンサの帰郷」

夕日のなかで

夕日のなかで



この夕日のなか
やさしく くずれかけていく町
ぼくは 死んだ兵士たちの記録を読んだ
きんいろのひかりをあび
逆光の幼児たちが駆けていく
きっと その日も こんな日々だった
幼いぼくが 夕日のなかで
おどろいて立ちすくんでいたころ
かれらは 輸送船団にだまって乗り組んだ そして
たくさんのひとごろしをしてから 殺されたのだ
すると どこかで公報を握らされた女が
のぞみを失って 仏壇のまえで泪をながし
幼児が縁側の切干しの芋をいじっている
それが ぼくのともだちのひとりだ
ぼくらは だから
ひとごろしに行くまえに まじわった男のこども
ひとをころし終わってから まじわった男のこども
手あらいの水をあかく染めてから
マイ・ブルー・ヘヴンのステップを踏み
おそろしい目つきで 剣菱をがぶりと呑んだ
こうして生きのこった者は呪われ
こどもに正義を教えながら育てたのだ
おお この一世紀
じじいも ひいじじいも 力をあわせて
ひとごろしをしながら 正義をこどもに教えたのだ
かれらから生まれた
その金で買った ミルクを飲んだ ぼくら
また真に在るべき世界を見ることはできず
その直しかたを知らない
すでに ころしあいの焔のなかにあり
ぼくらも 虐み虐まれてきたからだ
すでに神の心より遠く むごい光をあび
一匹の獣の姿をさらしているからだ
だから 盲いたまま
妊婦の腹をくらい巻尺ではかり
やってくる者らのことを 熱い心で思う
世界を怨恨と偏見で撃つ
この夕日のなか
やさしく くずれかけていく町から




三木卓 詩集/「わがキディ・ランド」

なぜ

なぜ



なぜ ぼくらはスピッツをかわいがり
目やにのでた 捨て猫をきらうのだろう?

なぜ 九郎判官の悲しい運命に同情し
目前の事件にかかりあうのをこわがるのだろう?

なぜ 総理大臣は郷土の英雄で
逃げ帰った犯人は 村の恥なのだろう?

なぜ 水着のわかい女が好きで 好きで
八人の餓鬼連れのかみさんはいやなんだろう?

なぜ 巨人と大鵬のファンで
ダウンする四回戦ボーイがおかしいのだろう?

なぜ ぼくらの世界の愛し方は
こうなってるんだろう?




三木卓 詩集/「わがキディ・ランド」

二人の詩

二人の詩



薄氷のはつてゐるやうな
二人

二人は淋みしい
二人の手は冷めたい

二人は月を見ている




尾形亀之助 詩集/「色ガラスの街」

イエスタディ

イエスタディ



リヴァプールからの
四人の若者 吟遊詩人
詰めかけた警官にむかい 歌をうたう
ああと うめいた娘たち
ハンケチ握り キイという
リンゴはスタア
スタアキング!
ペートルとは何ものだ?
えて公の音楽じゃ……
勲章をもらっているから 芸術家だよ
だが四人の若者 吟遊詩人
としよりなんざ どうでもよい
好きな作曲家? レノンです はい
聞きたい人は レコード買ってね……
とり残されたは 娘たち
涙ふきふき 固く誓う
たとえこの身は おばあに なりましょうと
かれらを愛し続けるわ 一生よ




三木卓 詩集/「わがキディ・ランド」

プロフィール

梅田慈将

Author:梅田慈将
ただ生きているということは、生きる、ということではない。そのままそこで死んでいるような、つまらない男です。

アナログ時計(黒)

金魚

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