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彼は年中洟をかんでゐる。
彼は鼻が悪いからだ。
彼は年柄年中何か書いてゐる。
彼は心が病気だからだ。

病気だから彼は大きな声で怒鳴らない。
人の邪魔はしない、
人の生活に文句はつけない、
自分が苦しんでゐるから人を苦しめない。

彼は鼻が悪いから、
下らないことを嗅ぎ出したりはしない。

彼は年中洟をかみながら、
何かしらコツコツと書いてゐる。

(十一月八日及び九日)



高見順 初期詩篇から

積木

積木



困るといふことは面白い
僕はひとりで困つてひとりで遊ぶ
ひとりで積木遊びをする子供のやうに

もうひとつ重ねると
折角高くなつた積木が
崩れさうで困る

悲しみを上手に積み上げて
僕は遊び 僕は困る
悲しみの一片をさらに積み重ねたものかどうか




高見順 詩集/重量喪失

黒板

黒板



病室の窓の
白いカーテンに
午後の陽がさして
教室のようだ
中学生の時分
私の好きだった若い英語教師が
黒板消しでチョークの字を
きれいに消して
リーダーを小脇に
午後の陽を肩さきに受けて
じゃ諸君と出て行った
ちょうどあのように
私も人生を去りたい
すべてをさっと消して
じゃ諸君と言って




高見順 詩集/死の淵より

苦しみ

苦しみ



犬が吠えてゐる
なんといふ力のこもつた声だらう
排他心とはなんといふ力強いものだらう

ここでは
苦しみが病んでゐる
黙つて吠えないで病んでゐる




高見順 詩集/樹木派

忍耐

忍耐



君に
僕の忍耐をあげよう
崖の樹木よ
忍耐でない忍耐の
その君の忍耐が
僕は欲しい




高見順 詩集/樹木派

葉脈

葉脈



僕は木の葉を写生してゐた
僕は葉脈の美しさに感歎した
僕はその美しさを描きたかつた

苦心の作品は しかし
その葉脈を末の末までこまかく描いた
醜悪で不気味な葉であつた

それはたしか十歳位の頃だつた
それはついこの間のやうで
あゝ その日から三十何年経つてゐる

三十何年振りに僕は
葉脈の美しさに感歎してゐる
三十何年の早さ短かさに感歎してゐる

感歎しつゝこまかい葉脈を見てゐると
嘗つてのこまかい写生の醜さのやうに
自分の三十何年のこまかい醜さがありありと思ひ出される




高見順 詩集/樹木派

急ぐ虫

急ぐ虫



掌に
小虫をのせ
あるかせる

その急ぎ足を
悲しむ
人生に似てゐる




高見順 詩集/樹木派

夕暮

夕暮



また 夕暮がくる
また 熱が出る
また この一日の失はれるのを
からだが熱を出して悲しむのである
心とはまた別に 悲しむのである




高見順  詩集/樹木派





こつそりとのばした誘惑の手を
僕に気づかれ
死は
その手をひつこめて逃げた

そのとき
死は
慌てて何か忘れものをした
たしかに何か僕のなかに置き忘れて行つた




高見順 詩集/樹木派